散文と中文

神戸市外大中国学科卒業。復旦大学国際交流学院留学。中国語と中国と共に生きる自称エッセイスト。

旅行:国慶節会いたい人に会う北方(大連、旅順、北京、豊寧満族自治県、天津)

国慶

 

0日目

10月3日14:19上海駅→10月4日15:14大連駅

 

このあいだの重慶旅行から帰って来る際に高鉄の二等席に12時間くらい乗ったのだが、旅先でイヤホンをなくしたりもともとあった通信容量を使い果たしてしまったりで暇つぶしの道具をほぼ持っておらず、地獄のような思いをした。

真昼間、ふつうの座席、子供連れが多く動物園状態、という苦痛の中で寝るにも寝れず、ひたすらぼーっとするかkindleに入っていた数少ない小説を繰り返し読むなどしていた。

 

このような前回の反省から、24時間硬卧チャレンジの今回は(暇つぶし対策に)準備に準備を重ねることになる。

优酷に映画を二本(《从你的全世界路过》と开心麻花の《夏诺特烦恼》)、kindleに小説を六本ほど(川上未映子乃南アサ村上龍)と大連情報のPDF…

もちろん食事対策も怠らない。カップめんにパンにオレオにポテトチップスに辛い味付けのピーナッツにおーいお茶のティーパック。

中国人は長時間移動において(むしろ日常生活でも)食を楽しみにしたり食べることをもって暇つぶしとする傾向があるので、本当は瓜子があるといいのだろうけど(いちいち剥かなきゃいけないので最高の時間つぶしになる)とにかく食べるのがめんどくさいし殻がちらばって床が汚くなるのが目に見えているので、今回はパス。

あと、これは留学生(海外長期滞在者)あるあるだと思うのだけど、日本のものーお茶であろうとインスタントスープであろうと味噌汁であろうとカップめんであろうとーを口に入れると本当に心が落ち着く。

おーいお茶のほうじ茶ティーパックは本当に無敵。

 

初めての硬卧は、以外となんとかなっている。

三段ベッドのいちばん下のチケットを買ったのだが、座ってご飯を食べたり本を読んだりすることも出来るし、寝るのも快適。

 

総括

10月10日

なぜ0日目からいきなり一週間もぶっ飛んでしかも上海でこれを書いているのかと言うと、いうまでもなくいろんなことがありすぎてパソコンを開く暇がなかったからである。アイヤー。

 

・大連、旅順

 

大連でホテルが取れなかったこと

初日、30分ほど遅れて16時ごろ大連についてホテルに行ったらなぜか予約が取れていない。これはbooking.comのせいでよくわからないけどそのユースホステルはそもそもbooking.comとは連携していないと言う。

あせってほかのホテルを探して、なんとか一晩45元で泊まれるところを見つけたけど、窓なしたばこくさいパスポートのコピーはとらない。

列車の中で服役が終わり出所したばかりの女の人を描く小説を読み終わったばかりとあって、本気で刑務所と錯覚した。

 

旅順

寝坊して10時くらいに着く。有名な山に登って景色を見て、タクシーの運ちゃんにお任せで海鮮の美味しいところに連れてってもらう。

タクシーの中で話していると外国人、しかもアジア人だということを見破られ「どこの国?」と聞かれて日本だと答える。とたんに顔が厳しくなって、「日本人は来るべきところじゃない」と言われる。

「中国の歴史の授業は日本と違って事実を隠さないから旅順の若者は今でも日本を憎んでいる」と言っていた。

誰かも言っていたけど南京大虐殺博物館とかああいうとこってやけに日本語の訳がうまいんだよなあ。

人数の水増しとか抗日ドラマとか過度に報道したがるとかあるけど、事実は事実なわけで、悪いことをしたことをどうとらえたらいいんだろうなぁと思う。

でもアメリカが日本に原爆を落としたことで今の日本人がアメリカ人をめっちゃ嫌ってるわけじゃないしなあ。とも思う。

 

 

今日は中国の人に日本語を教える日で、最後のほうに旅順の話とかしてた中で日中当代史の話をしてくれたけど、

安倍首相の話とか(建国記念式典参加したり日中友好めざしてるぽいけど、東南アジアの件←フィリピン、ベトナムとの国交?このへんはよくわからない と中国をどう思って行動しているのか図りかねる)を聞いてて、それぞれ考え方とか背景が違ういろんな国と仲良くすることってもしかしたらめっちゃ難しいんじゃないかなと思った。

誰にいい顔をするかっていうか。

中国(とくに東北と南京)の子どもたちは、ちっちゃいころ歴史を勉強する前に親や祖父母ののバイアスがかかったはなしを聞いて育ち歴史の授業を受けて、そのうえでああいう博物館を見たりするから日本に対して悪いイメージを抱くのだと言っていた。広島とか長崎のひとももしかしたら(アメリカに対して)同じような感じなのかも。

広島出身の同期は少なくとも北海道出身の私よりは原爆の日終戦記念日にたいして敏感。

 

 

・北京、予想のしていなかった河北(豊寧満族自治県

 

草原

なんかどこ行くかよくわからなかったけど、とりあえず草原連れてくわってなって渋滞の中数時間運転してくれていつのまにか北京すら脱出した。

羊を食べて馬に乗って草原散歩しておわた、たまには自然の中でのびのびするのは大事だと実感した。となりにいるひとがネックレスおじさんだったのが唯一の心残り。

場所自体は非常によい。あー羊おいしかったな。

 

メンツ重視大国、中国

北京ダック食べることになってネックレスおじさんが昔お世話になってた人たちといっしょにごはんにいった。まおたい酒はやっぱりおいしい。

500元とかするんちゃうかな。いい白酒は後味さわやかだしおいしい。まずい白酒は口に含んだ瞬間に吐き気がする。

なんか冗談で日本人の彼女とか言ってたんだけどあとのほうで収拾つかなくなって酔っ払った知り合いのおじさんにお前の嫁さんは~とはお前の彼女は~とか言われて勝手に嫁認定されて、ネックレスおじさんは「いやいまのとこ僕が追いかけてるだけだから、彼女にプレッシャーを与えないでくれ」みたいなん言っててその言い方もやめてくれと心から思った。北京ダックはおいしかった。

日本を持ち上げてなにかにつけて中国の悪口行ってて、なんかそのお世話になったひとと半分言い合いになってたけどそれも当たり前だ。

3年ばかし海外にいたばっかの奴に知ったような口で自国の悪口言われてたまるかっていう話だ、あげくの果てに帰化したいってずっと言ってるんだもん。人のふりみてわが振りなおそうと思った。本気で。

あとマッサージ行ったけどお店の子にこれは日本人の彼女で、、みたいなこと言ったり、彼女が中国語分からないときは僕が日本語言うし逆もまたしかりみたいなこと言ってたけどいやいやちょっと待て、お前の日本語レベルはまじでわたしの大学一年生のときの中国語レベルと同等だぞ。というかしゃべり方に癖がありすぎてもごもごしてて中国語自体ちょっと聞き取りにくい。笑

しかもとりあえず自分の話1.2倍程度に盛って話してる。しばらく来ないマッサージやだからって言ってそんな見ず知らずの人にまで自分のことよく見せようとする理由が分からん。隣に私がいるから?そんな逆に寒い。

なんかとりあえずネックレスおじさんに関しては非常にわたしにやさしくしてくれるしがちでわたしのこと好きなのかもしれないけど、両親も飲食経営で自分も筋金入りの飲食で、しかも三人兄弟の真ん中だし次男だし、88年生まれだし、離してて会話弾むタイプじゃないし、しかも北京生まれやと思ってたけど戸籍河北だったし、いや中国人と付き合うにせよもうちょい人選びます。車も家もないし。

はははいつからわたしこんな中国人の女の人みたいな感じで男の人のこと見るようになったんだ。

 

・天津

 

天津外大に通っている日本語学科の女の子に案内してもらった。

前に彼女が上海に来たときにはわたしが案内したんだけど、それよりはるかに上手なガイドとおもてなしをしてくれてやっぱりわたしは人に何かを与えることが苦手だと思った。

包子(肉まん)がすごく有名で天津と言えばそこ的な肉まんやさん(狗不理包子)に連れて行ってもらった。あと煎饼果子と耳朵眼炸糕も食べた。

夜景がすごくきれいなはずだったけど雨がやばすぎて風邪引きかけで正直天津はあんまり楽しめなかった。

 

天津での民宿サービスairbnbで一緒だった中国人カップルに調理していた天津蟹をわけてもらって、さらに食べ方(剥き方?)までレクチャーしてくれた(あれはレクチャーなしだとほぼ食べる場所が分からない。

ちゃんと知っている人について食べれば無駄なくきれいに食べれる。スノーボードみたいなものだと思った)。

二時間かけて蝶理(足とかをひもでぐるぐるまかなきゃいけない)して二時間かけて食べてる(ちっちゃいけれどむくのに非常に時間がかかる)、もうつかれたよハハハと言っていた。いつも思うけどひまわりの種とか蟹とかザリガニとか、めんどくさいものでも平気で食べる中国人の食に対する執念は本当にすごい。

食事の時間もめっちゃ長いと思う。日本みたいにお店の滞在時間も厳しくないから、二次会とかって言う概念もないしね。

 

キャッシュレス保険

旅行最終日、風邪がしんどすぎて病院にいかざるを得なくなった。エポスカードの付帯保険は非常に有能。連休明け一発目の朝と言うこともあって、8時に電話して10時15分には診察が終わっていた。

水飲む量が少ない、免疫力低下、扁桃腺はれてるとのこと。大量の漢方を処方してもらった。フライトまでの間、スタバでお湯とラテを飲みながら薬を飲んだのがいい思い出。(?)

 

おわり。

今回のたびけったいなことが多すぎて疲れた。

いろいろ思うことはあったけど、以上が主に起こったことです。

原点に返れたかはわからないけど、すくなくとも上海に留学した選択はかなり正しかったんじゃないかと思う。日本に対する感情、もちろん発展していること、空気。書くと陳腐だなぁ。

でも上海はほんとに別格だと思う。上海が中国の全てだと思ったらほかのとこ行った時に絶望しか感じない。後輩にはやっぱり北京に最初に行くことをお勧めしたい。