散文と中文

神戸市外大中国学科卒業。復旦大学国際交流学院留学。中国語と中国と共に生きる自称エッセイスト。

日記:雑な最近の心境


「每个人都有属于自己的故事,每个人都是靠故事奔跑,现在疫情一来所有的故事都崩了。」「一定要自己给自己治愈好。」「如果多努力,努力的方向错了什么都没有意义了,战略比战术更重要。」
モヤモヤしたり、不安になったり、訳が分からなくなったりする時期、自分とはいかなる存在なのか、どうあるべきかを言語化できるのはすごいことだなと思った。

f:id:rishizi:20200813235838j:image


日本橋から外卖した小龙虾は中国の味がした。


信じることと、現実を見ることのバランスの間で葛藤が続く。世の中がバグっているけど、そんな世の中で強く愉快に飄々と生きていかなければいけない。お酒すらもロクに飲みに行けない世界、ここはなんの地獄なんだろう?

f:id:rishizi:20200813235734j:image

日記:散髪にまつわるエトセトラ

実家は二世帯住宅で、隣に祖母が住んでいる。

美容師の祖母の話

祖母は現役の美容師で、高校を卒業するまでは基本的に祖母に髪を切ってもらっていた。

美容師とは言ってもそこは地元のおばあちゃんを相手にしているような小さな美容室で、なんとかというキラキラした雑誌の代わりに『女性自身』が積み上がっているし、髪を染める途中に出てくるのはホットレモンティーじゃなくて黒飴である。趣味の庭いじりをしているときにふらっとお客さんが来ると、手を止めて髪を切る、そんな美容室だった。

小さい頃からずっとおしゃれというものに対して全く敏感ではなく、髪を切るときも「そろそろ伸びて暑いから切ろう」としか思っていなかったため、適当な土日に二世帯の家をつなぐインターホンのようなもので祖母を呼び出して「今髪切りに行っていいー?」というふうな予約システムだった(もしくは、直接行って大きな窓ガラスから中を見て、お客さんがいたら家に戻ってくるのどちらか)。

髪を切るときは祖母に対して「短くして」「前髪切って」としか言わなかったため、"段カット"という概念や、"(髪を)梳く"という概念を知ったのはおそらく大学生になってからだったように思う。しかも、前髪は伸びたら目に入るまで伸びる前に切るものだと信じていたので、前髪があるとかないだとか、前髪を作るだとかそういう概念が全くなかった。

確か高校の時に、比較的ゆるい校風だったのもあってパーマをかける人もある程度いて、パーマに憧れた時期があった。「めんどくさいからやってくれないと思うよ」という母の言葉を退けて、パーマをお願いした。

・・・何かどうダメだったのがわからないけど、全くダメだったのを覚えている。

「そう。夏にパーマをかけたのよ。ところがぞっとするようなひどい代物でね、これが。一度は真剣に死のうと思ったくらいよ。本当にひどかったのよ。ワカメが頭にからみついた水死体みたいに見えるの。でも死ぬくらいならと思ってやけっぱちで坊主頭にしちゃったの。涼しいことは涼しいわよ、これ」と彼女は言って、長さ4cmか5cmの髪を手のひらでさらさらと撫でた。そして僕に向かってにっこりと微笑んだ。

村上春樹ノルウェイの森 上』

これだ。まさにこんな感じの失敗。多分高校の時に読んだこの描写がなんだか忘れられなくて、私も坊主頭でにっこりと微笑んでみたかったので、やけっぱちで坊主頭にしたことがある話は高校よりもう少しあとの話。 

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)
 

なんやかんや言いながら、家族はみんなタダで切ってもらっていたし、高校のときからは髪を切るたびに毎回笑って「これじゃ赤字だね」と言いながら3000円くらいお小遣いをくれていた。

大学に受かったと知ったとき、初めて髪を染めるために札幌の美容室に行った。美容室というものに初めて入って、とてもソワソワしたし、勝手が全然わからなかった。「今までおばあちゃんに切ってもらっていたから、どうしたらいいかまったくわからないんです。おばあちゃんは田舎の美容師だからめっちゃださいんです」というようなことを言うと、担当の人が「でも、孫の髪を切るなんておばあちゃん今までずっと幸せだったと思うよ。俺でも絶対嬉しいもん」と言ってくれたのを覚えている。

大学に入ってから帰省するたび、しばらくは「神戸は髪切るのにいくらかかるのさ?結構かかるべさ」と言われていたけど、今ではそんなことも聞かれず、「彼氏とはうまくいってるの」なんてことばかり聞いてくる。

 成人式のときは髪のセットもしてくれたおばあちゃん。トリトンのお寿司が大好きで、帰省のたびに連れて行ってくれたこともあった。今年の夏、無事に帰って会えるといいなと思う。

私がベリーショートくずれの坊主だったときの話

人生で二回ほどベリーショートにしたことがある。

一回目は、所属していた卓球部の最後の一年だった中学三年生のとき、隣の中学校のめちゃめちゃ強いエースの女の子がベリーショートにしているのに憧れてばつんと切ったとき。

二回目は、大学三年生が終わって留学に行く前に、中国で髪を切るのが怖くてばつんと切ったとき。その後結局、上海の大学近くのウォルマートレジ前にあった15元カットの床屋で「ほんまにいいんか?!」って毎回言われながら短くしていた。髪型なんて概念はもはや存在しない、ただのモンチッチである。すっかり顔馴染みになってしまい、留学から帰ってくる時に挨拶に行った。貴州かどっかから出稼ぎにきていたらしい彼は元気かな。

f:id:rishizi:20200806215744j:plain

ロングに憧れるけど結局切ってしまう

伸ばし始めて半年くらい経つけど、基本的に雑なので長い髪が向いていないんだと思う。久しぶりに肩に届く長さになったが、伸ばしているメリットを全く感じないので、そろそろ切ろうかなと思案中です。

生まれ変わったら絶世のさらさら黒髪ロング美女になりたい。

f:id:rishizi:20200806211023j:plain

いつかの北海道医療大学駅



日記:大阪天満宮の黒猫

今日の夕方、散歩をしていたら大阪天満宮に黒猫がいた。女の人がひとりいて猫を撫でていて、話を聞くといつもここにいるらしい。猫は人慣れしているようで逃げもしないので、うまく写真を撮れた。かわいい。

大学最後の一年、鉄人28号で有名な、神戸の新長田というところに住んでいたことがある。家の近くに二匹やたらと人懐っこい猫がいたのを懐かしく思い出した。一匹はかなりのかまってちゃんで、もう一匹の方をずっと撫でていると俺も撫でろと言わんばかりに割り込んで求めてくる。私が好きなちょっとおとなしいほうは、お腹をなでるとあおむけにごろんとして伸びるのでとてもかわいかった。

結局のところ一年住んだ新長田という土地は今まで住んだ場所の中でいちばん好きになれなかった。向かいの家からはたまに子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてきたし。新長田のいい思い出は、二匹の猫と、小豆島を愛するくせのつよいマスターがいるワインバーと、家の近くの銭湯だけだな。もう、行くことはないだろうけど。

八月になった。健康に留意しながら、継続するべきことをこつこつと継続する一か月にする。

f:id:rishizi:20200801234547j:image

日記:入社して一年が経ちました

新卒で入った会社を半年経たずにやめて転職したいまの会社。今日で入社して一年。

ちょっとは成長したかな?と思う。わからないけど。
泣いたりわめいたりすることはあれど、全体的に見てみると自分の進むべき道は多分いつでも正しくて、仕事はライスワークじゃなくて、ぼんやりとしたやりたいことに近づく道の上にいることは幸せなことです。

なにかをうみだせる人になるべく、これからも精進します。人にやさしく、新しいことは柔軟に受け入れて、コツコツ継続して、可能性にワクワクして、ぴゅっと実行に移して、愉快に、仕事と日々を同じくらい愛して生きたい。

最近は、ああなんか憧れている人ってもしかしたら意外と簡単に会えるのかもしれないっていうなんの根拠もないことをぼやっと思ったりしました。世界は、自分が思っているよりも多分いくぶんか狭い。

 

f:id:rishizi:20200801003637j:image

今日はハッピーだったので、桃が一個まるまるのった紅茶タルトを食べました。

池袋で中華を食べたいけど、しばらく東京には行けないなぁ。そろそろ家で火鍋でもするか。大阪日本橋の中華も行けなさそう。

いつまでも中国の人たちと中国語を身近に感じながら、これからも生きていけるといいな。

心の声:0掛ける0は永遠の0

新しいことを始めるときはいつも無限の可能性に胸を躍らせる。悪く言えば、“捕らぬ狸の皮算用”なのかもしれない。

そもそもこう考えること自体、疑心暗鬼に囚われた汚い心を持っている証なのかもしれないし、否定から入ることはよくないのかもしれない。でも、軌道に乗せたその先の未来を見据えないと、継続するモチベーションがもたない。

そんな葛藤が続いてどうしようもないから、ある程度の現実主義を貫くことに決める。 ある種の思考において冷徹でになってしまうのは都会暮らしの弊害かもしれないなぁと最近思います。ここ数年で考え方が変わったなぁって。

f:id:rishizi:20200726161444j:plain

 

さて、今日の本題:思考レベル(想像力・シミュレーション力・先回り力を含む)がアウトプットに直結するような物事があるとします。

正解が無数にあるので、自分で考え抜いて答えを出すこと自体すごく難しい。でも、とある物事を進めていく上で複数人を巻き込んでいく必要がある場合、そして、その複数人が揃いも揃ってその方面においてはまったくもって思考レベルが0に等しい場合。

・・・ここで、「場合分けしすぎ?」というツッコミを入れようとしたけれど、そもそも場合分けがなにかすらわかっていないど文系でした。最近はかわいい我が末の弟(高1)の進路の話や数学の話をしていて、(姉もあなたと同じくらい数学ができなかったのに、偉そうな口を聞いてごめんね…)と思いつつ偉そうなことばかり述べている。喉元を過ぎれば熱さを忘れるのが人の性。※英語の単語小テストが大嫌いでいつも追試に引っかかっていた生徒が、大学入試二次試験が英語だけの外国語大学に受かるようになるまでの逆転劇(?)は、また別のお話。

 このような状況で、うまく進めるというのはかなり難しいと思います。話がとっちらかってしまうから。

うまいこと「それだったら私に任せて!」というような人が何人か現れて、うまいこと分業ができればいちばんいいけれど、なかなかうまくいかないもので。そもそももしかしたらそのことは自分に向いていないかもしれないし、やめたほうがいいんじゃない?っていう人もいたりする。

そんな中で、やるしかない状況の今は、師事できる人がいることに感謝をしつつ、少しばかり生みの苦しみを味わってみます。

f:id:rishizi:20200726155853j:plain

太陽が出ていなくて、少し下を向いているひまわり

 

日記:走ることについて語るときに私の語ること

天気に恵まれた今週末は、去年から走ることを始めて以来、初めてランイベントというものに参加。

ナイトランだったので、行きは甲子園に行く阪神ファンに、帰りは大阪に戻る阪神ファンの人たちと仲良く阪神電車に乗っていました。

f:id:rishizi:20200719204543j:plain

阪神電車

こういう大会に参加しました。

www.sportsentry.ne.jp

f:id:rishizi:20200719203025j:plain

住吉川

雨が続いていたことを言い訳に最近は全然走れておらず、案の定10km完走できたことが奇跡と言っても過言ではない成績だった。おとなしく5kmにすればよかった。泣きながら走った。住吉川の坂はかなりえげつない。

 

【実話!大会初心者エピソード】

①ゼッケンをつける位置が分からず、卓球をやっていたときの遠い過去を思い出してTシャツを後ろ前にして背中側につけようとする。周りを見渡すとみんな前につけていたので、そっとTシャツをひっくりかえしてお腹側につける。

②新型コロナ対策のため給水がないとのことで、ペットボトルをウエストポーチに入れて走るが、うまく収納されておらずしょっぱなで川にドボン。それを見ていたスタッフのおじさんは「あらー。しょうがないね」

③スタート後完全にペースに飲み込まれ、今までの自分だったらありえないペース(たぶんキロ4:30くらい)でしばらく走る。2km時点で超絶苦しい。

④スタッフのおじさんが意外と優しい。半ベソでふらふら走っていると「がんばれー」と応援してくれるのでさらに惨めな思いと感動で涙。

⑤ゴール後、疲れ果ててそのまま待機場に行く。ストレッチをしそこなって更衣室であわててストレッチ(良い子は真似しないでね)。

⑥完走証を受け取るときの、ほぼ誰もいないがらんとした待機場に苦笑。

 

帰りはずっと気になっていたラーメン屋さんでもくもくとラーメン、美味しかった。100名店らしい。天神橋・中崎町界隈はラーメン激戦区で、まだまだいろいろ行ってないところを開拓したい。

tabelog.com

f:id:rishizi:20200719205235j:plain

f:id:rishizi:20200719203114j:plain

夜10時のまぜそば

いつかはフルマラソンに出てみたいと思っているけど、まだまだ道のりは長そう。梅雨ももう直ぐ明けそうなので、コツコツとランニングを続けつつ、走るこつとか筋トレとか、知識面でもいろいろ調べていきます。ホノルルマラソンとまでは言わないけど、上海マラソンとか、台湾マラソンとか出てみたい。

日記:辻仁成のブログが最近の癒し

最近、Google Chrome のホームページに辻仁成のブログを設定してから、Chrome を立ち上げるたびに癒されている。「滞仏日記」と「退屈日記」が混在しているのもいいし、JINSEI STORIESという名前もいい。

 

f:id:rishizi:20200716231800p:plain

 

某月某日、ぼくは、男友だちが少ないのだけど、実は友って言い合うやつが少ないだけで、一目置いてたり、すげぇな、と気になってる奴とか、滅多に会わないけどたまに会いたくなる奴とかはそれなりにいる。ぼくの仲間はみんな、他人の人生に干渉しないので、付き合いやすい。

引用:退屈日記「友だちってなんだろう。滅多に会わないけど、応援したくなる仲間について」 | Design Stories

友だちの定義は人によって違うし、前中国人の知り合いの人に「大学時代の親友にだいたい月に一回くらい会ってご飯を食べる」って言ったらありえない、その頻度で親友って言えるの?と言われたことがあります。その人は週一くらいだと思っていたらしい。

週一でご飯食べるのなんて彼氏くらいしかいないし、週一で同じ人と会ってたらしゃべることなくなるんじゃないかと思ったりしてしまう超絶ドライな人間で、共感。

 

「家族って、日々に意味を教えてくれる存在なんだと思う。ぼくはアンナの家族からたくさんのことを教わった。一人一人の役割とかがちゃんとあって、羨ましかった。お父さん、お母さん、娘たち、従兄がいて、その友達たち・・・。パパと二人で生きることが出来てよかったけど、ずっと二人っきりというわけにはいかない。・・・(中略)」
「・・・(中略)ってか、パパはもう期待してない。期待し過ぎるから、人間は苦しくなんだよ」
「それ、パパの口癖だけど、間違いだ。アンナの家族はみんな期待しあってた」・・・(中略)
「パパはきっと期待をしなかったんだよ。期待を裏切られるのが嫌で…。でも、期待をすることの方が大事だ。たとえ裏切られても、期待し合える関係ってぼくは素敵だと思う」
息子に説教をされてしまう。途中からフランス語になっていた。
「田舎の暮らしって、期待しかないんだ。人数が少ないから逃げ場がない。だから、開かれた期待をする。ぼくは期待されたから、掃除をしたり、朝ごはんを準備したり、片付けたりしたけど、それは悪くなかったし、嫌じゃなかった。むしろ、みんなに期待されたことで、自分の存在理由が、役割が、意味がわかった。・・・(中略)パパ、他人に期待してもいいんだよ。期待しないだなんて、思うからうまくいかなくなるんだ。知ってるよ、パパがいつも最後は人を許していることを…。でも、そろそろ、パパも誰かに期待をして生きてもいいんじゃないの?」

引用:滞仏日記「パリへの帰り道、思わず、息子に説教されてしまう」 | Design Stories

 

”田舎の暮らしって、期待しかないんだ。人数が少ないから逃げ場がない”。生まれ育った北海道の田舎町のことを思い出しました。好きだけど、それとは別に、息が詰まる生きづらい場所でした。

 

某月某日、いくつになっても、人間はいろいろな角度で何かいちゃもんをつけられるのだ。どんなに清く生きようとしていても、どこの誰だかわからない人に「え、そこですか」と思うような角度で、つっこまれ、とやかくいわれてしまうのが人間である。

みんな笑顔で摩擦もなく、お互いを尊重し合って仲良く生きていければいいのだが、それが本当に難しいし、そうは問屋が卸さないのが、我々が生きるこの世界というものだ。一生懸命やっていても、非難される世の中だから、これはもう気にしないで大丈夫だよ、とぼくはぼくに言い聞かせている。

涼しく生きている人がいるなぁ、と思ってちょっと観察をしてみたのだけど、そういう人というのはよく見ていると、世界をスルーしている。何かバリアのようなものをまとっているというのか、笑顔で躱しているというのか、もっと言えば、世界の痛みとか見てない。憎悪とか嫌悪とかそういうものを見ないようにして生きている。

本質を問うと、上手にはぐらかされてしまう。現実を抱える気なんかさらさらないというのか、そうしないことがその人の生きる方法なのであろう、だから涼しい顔でいられるのに違いない。

不条理な世界だから解決策は簡単に見つけ出せないが、人間が人間であるいいところだけを失わないでいたいものだ。ぼくらは聖人君子にはなれない。一人の弱い人間でしかない。そこはだから無理をする必要はないので、全部を受け止めて生きる必要もない。自分が壊れたら、あなたの家族や周りはどうするのか。自分に出来ることを出来る範囲でやることで、少しずつ世界と関わっていけばいいし、それが今ぼくに出来ること、あなたに出来ることなのだ。

・・・(中略)スーパーマンになれないぼくらは自分の居場所で頑張るしかない。しかし、みんなが自分の居場所で頑張れば、或いはそこで、誰かのためになりたい、とささやかなながら思うのであれば、その共時的な意識が、見えない人類のスーパーマンを生み出し、その見えざるスーパーマンによって人類は救われるのだと思う。思わなければ現れないこの幻のスーパーマンをぼくらは良心と呼ぶことも出来る。

引用:滞仏日記「自分の居場所で頑張ることが誰かを助けている」 | Design Stories

 

これだ…。世の中は自分が思っていたより何百倍も不条理で、世の中の半分はヤバイ人だという持論があるのですが、 涼しい顔をして生きていくしかないんだな。たぶん、それが「期待をしないで生きていく」と言うことだと思うのだけど。

尊重して尊重される世界になればいいのにな、と毎日思いながら、今日も誰がが誰かを尊重しなかったり、尊重したりしています。

 

海外が舞台、とりわけ自分が行ったことのある場所が舞台の小説を読むとすごく楽しくて、辻仁成のブログも『サヨナライツカ』も、読んでいて早くどこか非日常に身を置きたくなる気持ちにさせられます。

『サヨナライツカ』は定期的に読みたくなって何回も読んでいる小説ですが、読むたびに切なくなって泣いてしまう。

いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない

孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうがよい

愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある

どんなに愛されても幸福を信じてはならない

どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない

愛なんか季節のようなもの

ただ巡って人生を彩り あきさせないだけのもの

愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ

サヨナライツカ

永遠の幸福なんてないように

永遠の不幸もない

いつかサヨナラがやってきて

いつかコンニチワがやってくる

人間は死ぬとき

愛されたことを思い出すヒトと

愛したことを思い出すヒトとにわかれる

私はきっと愛したことを思い出す

ー『サヨナライツカ』原文より

サヨナライツカ (幻冬舎文庫)

サヨナライツカ (幻冬舎文庫)

  • 作者:辻 仁成
  • 発売日: 2002/07/01
  • メディア: 文庫

そうしてこのサイトをよくよく見ていたら、母校の大先輩の記事が掲載されていることに今更気がつきました…。かっこよすぎます。

西村英希 コロナ下の香港で見る外食産業とコミュニケーション | Design Stories