先週の金曜日の記事から時間が経ってしまいました。江蘇省への小旅行はすごく楽しかったです。
さて、私事では有りますが昨日やっと21歳になることができました。お祝いのことばをくださったみなさん、いつもブログを読んでくださっているみなさん、本当にありがとうございます。少しだけ、自分語りをしますが、下のほうに恒例の中国ネタをぶっこんでますのでよければお付き合いください。
留学に来てから親のありがたみが痛すぎるほど身に沁みています。弟を二人抱えて大学で一人暮らしをしてさらに私費留学をさせてもらうってどんだけ金食い虫やねんって話です。お父さん、お母さん、いつもありがとう。
わたしは基本的にご飯は食堂かテイクアウト(といえば聞こえがいいが、店先で買って歩きながら食べるだけ)で済ませているのですが、今日W稲田大学のひとと話していたら、「どこどこの日本料理は40元くらいだった、うんまあまあだね」と言っていて、格差社会を感じました。
…なにが言いたかったかというと、留学に来てからわたしはこの歳になってやっと我慢することを覚えたのだと言うことです。過去は変えられないしわたしの大学生活に後悔はないけれど、もう一度やり直せるって知ったらきっと3年の後期で政府の奨学金を使うか派遣留学で4年で卒業するだろうなと思います。大学に入って本当に中国語関連のことばかりしていたから恥ずかしながらぜんぜん貯金をできていなくて、今そのツケが回ってきているのです。物価が安いのに、買い物をしたりカフェに行ったりお酒を飲んだりすることがあまりできない。日本にいるときよりお酒を飲んでいない。この酒鬼めホンマかいなって思うひとがいるかもしれないけど、本当の話です。ていうかあんまり友達がいないだけか。(笑)いいことだ、我慢、我慢。
変な話ですが、20歳が終わりに近づくにつれ自分がまだ20歳だとは思えなくなっていきました。この一年間、本当にいろんなことをしたり、いろんなひとと会っていたからかなあと思います。こっちに来てから、友達が多くないために一人で考えることが増えたので振り返ってみると「ああばたばたした一年だったなあ」とただただ思います。まずは動いてみる、ということをずっと大事にしてきたつもりの人生だけど、吸収したものを消化する時間があまり取れなくて、結局は右から左に駄々流れしていた20歳になってしまいました。時には胃袋の中に入ったお酒も消化しきれずに駄々流れしていた20歳になってしまいました。げろげろ。げろり。
だから今年は「しずかにたくわえること」を目標とします。行動することで得られることも多いけれど、あとには思い出だけが残る場合がほとんどで、でも、そんなものばっかり残ってもしょうがないのです。思い出は体を暖めることしかできない。思い出でひとが生活していくことはできない。時間をかけて、いろんなことを比較して、理解して、暗記して、自分の中に落とし込んでいくこと。
こっちに来て思うのは、「見えるもの」の後ろには「見えないもの」がたくさん積み重なっているんだなあと言うことです。それは歴史であったり、政治体制であったり、数字であったり。バンプオブチキンの天体観測に 見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込んだ という歌詞があるけれど、それじゃあ見えないものはいつまで経っても見えるようにならないと思うんだ。(引用したかっただけです)「見えるもの」は行動することで見ることができるのです。「見えないもの」は望遠鏡を覗いても見えなくて、本を読んだり、勉強したりしなきゃいけないんだと、最近思います。大学に入ってから今まで体で感じることだけを信じてきたけれど、大好きな中国はあまりにも大きすぎて、一部分しか見届けることができないことに、中国語暦四年目にしてやっと気がつきました。
平均年齢が25歳くらいのクラスメイトたちは本当に物知りで、わたしはいつも知識不足を感じていることや、中国語を学び始めたときに先生が「中国語を話せても話す中身がないと意味がありません」と言っていたこと、高校のときの数学の先生が「ある日突然白馬の王子様がやってきて数学の問題が解けるようにしてくれるなんていうのはありえませんのでよく勉強するように」と言っていたこと、ひみこらしい留学とはなんだろうと今でもあせり続けているけど、そんなようなことを心に留めて学業に励む一年にします。中国に来てから中国への愛はますます深まるばかりで今後の進路を決めかねています。がんばります。
長々と書いたけれど、以上が21歳の抽象的な目標です。じゃあ、具体的にどうするのか?というお話と小さなtodoたちを書き連ねました。
- まずはレポートを終わらせる(20歳中に終わらせたかったけど終わらなかった…ああああああ)
- 中国のニュースを見る
- 一番苦手なスピーキングに関しては中国人の友達を作って遊びながら話せるようになることにする。あとこっちに来る前にHSK6級をしょぼしょぼながら合格しているので、HSKKと呼ばれるスピーキングテストに挑戦してみようかなと思っている。リスニングは永遠に聞き続けている授業できっと伸びる。ライティングはもうWechatのタイムラインに投稿しまくるしかない。お騒がせしています。
- 空いている時間を見つけてSPIとトーイックを…(帰ったらすぐ現実)
- お金がかからない遊びをしましょう 共産党発祥の地と上海博物館に今一番行きたい
- ブログは週に3回ほど更新できたら十分かな…毎日授業などでこれ記事にしたいと思うのだけどなかなかしんどいのです
- 旅行で行きたいところは何箇所かあるんだけどいかんせんお金が…(重庆、曲阜、西安、南京、苏州)歴史の授業を聞いていたら、すごくいろんなところに行きたくなります。先生はすごく授業がおもしろいです
- 中国のクラブに行く
- マーラータンを食べる(のどの調子がずっと悪くてまだ食べたことがない)
- 中国で映画を見る
- KTVに行く(まだ行ったことがない)その前に友達作りからか?
- 太極拳か広場ダンスに参加してみる(朝や夜によくおばちゃんたちがそのへんで舞ををしている)
- 本科生の授業を受けてみる
- 中国語でたくさん文章を書く
21歳も、波に乗りながら時に泳ぎながら、自由に走り回ります。(この二つのことばはそれぞれ尊敬してやまない友人二人がわたしに送ってくれたことばです。よい日本語に久しぶりに触れた気がした。ありがとう!)
お待たせしました。こっから中国で初めて過ごした誕生日について書いてみたいと思います。
- 誕生日の祝われ方
昨日は午前中、例の職業実習だったので朝出勤して、とりあえずなにも言われずそうだよなあ。。。と思っていたら隣のデスクの男の人がちいさいケーキをくれました。
9時を過ぎてみんなが集まりだして(こういうところが中国)、社内のグループチャットがなにやらにぎやかだなあと思って開いてみると、こんな感じです。
あと、こっちのひとはことあるごとにWechat上で現金をくれるんですよね。
8という字はおめでたい意味があるらしく、この日なぜか地下鉄の交通カードをなくした私に対しての励ましの意味も込められていたそうです。あ、結局交通カードは部屋に忘れていただけでした。お騒がせいたしました。
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中国人からびっくりプレゼント
みなさんこれ覚えていますか?
170119 中国人に一粒ダイヤモンドネックレスを貰った話 - memeda
わたしに好意を持ってくださっている(?)大阪在住の中国人の友人がいて、この方が最近「住所教えて」と聞いてきて「誕生日にもの届くから注意して見ててね」と言われたので、なんやそろそろ恋しくなり始めた日本の味噌汁とか繊細な味のチョコレートとか送ってくれるんかなと少しだけ期待していたのですが…
インターン中、「○○ケーキ」と「○○花束」からSMSが届き、何時ごろに届くから寮で待ってろとのこと。手元に届く前にばればれな、誰も予想していなかったバースデーサプライズです。しかも、時間に間に合わない!
結局クラスメイトにお願いしてかわりに取ってもらいました(スーパーで500グラム15元のいちごを買ってお礼に上げた)でかいのなんのって。
ゆりの匂いが部屋中に漂っています。ケーキは、あとでみんなで食べました。お花はほんとうにきれいだしお花に全く非はないのですけど、、、。
- 外大上海留学中の同期との夜ご飯
友達がいないわたしを見かねた3人の同期が忙しい中時間を割いてくれて念願だった”中華じゃないもの”を食べに連れて行ってくれました。感謝感激です。
イタリアンに行ってカフェでお茶をするという、久しぶりに日本人らしいすごし方をすることができていいリフレッシュになりました。トイレットペーパーと中国語の小説をもらいました。ほんとうにありがとう!
基本的にゆるい中国ですが今回のお店は少しおしゃれだったこともあり、「持ち込んだケーキを食べてもいいですか」と聞いたところ「誕生日だったらオーケー」といわれました。どういうルールやねん。
ありがたくいただいた上、あんまりおいしくなくて食い散らかして帰りました。いろいろごめんなさい。
長くなってしまいました。以上で誕生日レポートを終わります。
21歳のわたしもどうかよろしくお願いいたします。