散文と中文

神戸市外大中国学科卒業。復旦大学国際交流学院留学。中国語と中国と共に生きる自称エッセイスト。

心の声:0掛ける0は永遠の0

新しいことを始めるときはいつも無限の可能性に胸を躍らせる。悪く言えば、“捕らぬ狸の皮算用”なのかもしれない。

そもそもこう考えること自体、疑心暗鬼に囚われた汚い心を持っている証なのかもしれないし、否定から入ることはよくないのかもしれない。でも、軌道に乗せたその先の未来を見据えないと、継続するモチベーションがもたない。

そんな葛藤が続いてどうしようもないから、ある程度の現実主義を貫くことに決める。 ある種の思考において冷徹でになってしまうのは都会暮らしの弊害かもしれないなぁと最近思います。ここ数年で考え方が変わったなぁって。

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さて、今日の本題:思考レベル(想像力・シミュレーション力・先回り力を含む)がアウトプットに直結するような物事があるとします。

正解が無数にあるので、自分で考え抜いて答えを出すこと自体すごく難しい。でも、とある物事を進めていく上で複数人を巻き込んでいく必要がある場合、そして、その複数人が揃いも揃ってその方面においてはまったくもって思考レベルが0に等しい場合。

・・・ここで、「場合分けしすぎ?」というツッコミを入れようとしたけれど、そもそも場合分けがなにかすらわかっていないど文系でした。最近はかわいい我が末の弟(高1)の進路の話や数学の話をしていて、(姉もあなたと同じくらい数学ができなかったのに、偉そうな口を聞いてごめんね…)と思いつつ偉そうなことばかり述べている。喉元を過ぎれば熱さを忘れるのが人の性。※英語の単語小テストが大嫌いでいつも追試に引っかかっていた生徒が、大学入試二次試験が英語だけの外国語大学に受かるようになるまでの逆転劇(?)は、また別のお話。

 このような状況で、うまく進めるというのはかなり難しいと思います。話がとっちらかってしまうから。

うまいこと「それだったら私に任せて!」というような人が何人か現れて、うまいこと分業ができればいちばんいいけれど、なかなかうまくいかないもので。そもそももしかしたらそのことは自分に向いていないかもしれないし、やめたほうがいいんじゃない?っていう人もいたりする。

そんな中で、やるしかない状況の今は、師事できる人がいることに感謝をしつつ、少しばかり生みの苦しみを味わってみます。

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太陽が出ていなくて、少し下を向いているひまわり